地域医療の話をしていると感じるスレ違い。大学病院以外は地域医療であるとする言説がその代表なのであるが、いやいや大学病院こそ地域医療の要なのだという人もいて、さらにどこだって地域医療があるだろうということにもなり、もう何がなんだかわからない。国が目指す地域医療構想も地域医療の効率化だと言いつつ、地域包括ケアがその本意なのだと語るものだから、混迷に拍車をかけるのだと分かっているのか。いや分かっていないからのこの有様である。
日本語は言葉の多義性がその美しさの秘密である。一つの言葉に複数の意味を込めるその形が良いのであるが、地域医療の共通理解を妨げているとも思う。身の蓋もなく、いや、もとい、相互理解の齟齬を生じる可能性をうんと低くした言語である英語に置き換えてみると意外とあっさりしたものであることに気がつきました、今更ながら。local medical service―これが多くの人が言うところの地域医療なのである。そりゃ、どこにだってあるわけです。大学から派遣されるのだから大学こそ要にもなるでしょう。そして、ここからが今回のお話のクライマックスなのだが、家庭医療やへき地医療やプライマリ・ケアのいわゆるfieldの実践者たちが使う地域医療はcommunity medicineという英語に置き換えた方がしっくりくるように思いませんか?それは地域でサービスを与える側の言葉ではなく、むしろコミュニティに住む人たちの生活や健康を支えるといった医療のありようを表す言葉であって、保健や福祉や行政をはじめ、そこに住む人たちのネットワークの中でしか成立しない医療活動の意味になるのであります。
家庭医療やへき地医療もLocal medical serviceの中に含まれるものだろうという人もいることでしょう。それが医療サービスであることに異論はありません。だがしかし、community medicineは医療そのものの内容や多寡ではなく、公的な或いは個人的な、その地域に特有のネットワークの中で行われる、或いはネットワークの一部として機能する生活や健康に支点を置いた医療活動を表していることで、大きな違い、というより、質的に全く異なるものだと、大きな声でこっそり言いたい。そもそもdimensionが違うものを比べられませんね。
さて、この地域医療community medicineの基本的な原理というものを次の機会で話そうと思います。Network理論、複雑系、患者中心の医療の方法(PCCM)、物語性などの話になる予定。なんだかんだ言っても、Ian R. McWhinneyに尽きると思うのだけれどね。次回、またどうせ自分勝手で、長いのに適当に軽い話なのだから、それでも気になる人は、適当に待っていて下さい。じゃあね。


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